公開日 2025年3月2日 最終更新日 2025年3月2日
無関心を装う社会はもうやめよう。
舞台は第二次世界大戦中のドイツ、悪名高いアウシュビッツ収容所の真隣にたつドイツ軍人幹部の家だ。主人公は収容所の責任者。彼と彼の家族の日常を淡々と映しつつ、時にユダヤ人の怨嗟が通奏低音として鳴り響くような異常な日常を断片的に映しながら映画は進む。
人間の無関心度には限度がある。
映画の内容は上記の感じで進むのだが、映画の最後、転勤したアドルフが再度、家族がいるアウシュビッツに戻れるという流れになる。そして妻に電話をして「パーティしてる同胞をガスで殺すにはこの部屋は天井が高い」などと、パーティの雰囲気とはまったく関係ない残忍なことを考えていたと妻に打ち明ける。
しかし、このアドルフ、階段を下に下に降りているのだが(これはなんとなく地獄に降りていくメタファー(暗喩)に見えた)急に立ち止まって、嘔吐するのだ。カメラは彼に寄って吐くシーンなどを映すわけではないのだが、確かに嘔吐している。これを見たときに、健康診断のシーンが思い浮かび、健康状態からの病気のシーンなのか?と思った、しかし医者が下腹部を押すシーンでも「痛い!」など病気を思わせるシーンは無かった。
これは、ネットの考察をみていて、他者様のブログ記事でみてなるほどと思ったのだが、アドルフは無関心を装っていても、転勤したことにより、アウシュビッツを離れることによって身体で感じていた異常性による身体のと心の拒否反応が蘇ったという考察だった。
これを見たときはなるほどな、と思った。
人間の無関心度には限度があるのだ。いくら無関心を装っていても、心底の冷徹な悪魔には人はなれないのだと思った。